2008年10月29日 星期三

高円寺

三茶de大道芸と高円寺阿波踊り

編集部の押久保です。

先々週の週末に、三軒茶屋で「三茶de大道芸」というイベントをやっていたので、友人とともに三軒茶屋をぶらぶらしていました。

なぜ、三茶で大道芸か?という疑問はさておき、いろいろな大道芸を生で見ることができるので、なかなかすばらしい取り組みだなぁと思いつつ、大道芸 をぼ~っと見ていたわけですが、ふと、学生の時に高円寺を題材に卒論を書いたことを思い出しました。(私は社会学を専攻していました。)

私がちょうど学生のときに、「中央線ブーム」みたいな現象がボツボツと起きまして、いろいろな雑誌で中央線沿線である中野、高円寺、吉祥寺といった街にスポットを当てた特集をしていました。

しかし当時、高円寺の漫画喫茶でアルバイトをしていた私にとっては、なぜそんなに高円寺が注目されるのかが理解できず、メディアが作りあげる高円寺像と、実際に私が感じる高円寺像のギャップがなぜ生まれるのか、というテーマを卒論の題材にしてみました。

また、漫画喫茶で働いていたときに、もちろんいろいろなお客さんが来るのですが、どうにも変人が多く(笑)、そういう人たちがなぜ高円寺に集まるのか、というのも気になってました。

フィールドワークを行い四苦八苦しながら、卒論を書き上げたわけですが、高円寺を読み解く中で、私が結論を導くフィルターとして利用したのが「高円寺阿波踊り」でした。

隣街の阿佐ヶ谷で開催されていた「七夕祭り」が多くの人を集めていたので、高円寺でも何かできないかと、当時の青年部の方々が考えはじめたのが、高円寺に阿波踊りが持ち込まれたきっかけのひとつだったと記憶しています。

高円寺が阿波踊りを選んだ理由はいろいろあるのですが、大きな理由のひとつは、高円寺の土地にあります。

高円寺のような道の狭い土地では、例えば神輿をかついで歩きまわるというのは、物理的に無理なので、身軽な格好で商店街を練り歩く阿波踊りがぴったりでした。

阿波踊りが定着したことで、高円寺に人を呼ぶ→商店街に人を流す→商店街の商品が売れるという循環ができたわけです(と、当時の商店街理事長にうかがった記憶があります)

「三茶de大道芸」にも人を集めて街を活性化させる、という目的があると思うので、もっと大きなイベントに成長してほしいなぁと個人的に感じました。

ちなみに、「三茶de大道芸」は2日で17万人ですが、高円寺阿波踊りは2日で120万人を動員しています。当時の青年部の方はすごい目利きですね。

高円寺阿波踊り 三茶de大道芸


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高円寺駅北口前

高円寺(こうえんじ)は、東京都杉並区にある曹洞宗寺院の名「宿鳳山高円寺」、及びそれに由来する同寺周辺の地名である。現在の住居表示では高円寺北(こうえんじきた)一丁目から四丁目、高円寺南(こうえんじみなみ)一丁目から五丁目まで存在する。高円寺駅環状七号線西側・桃園川北側に位置する。

目次

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[編集] 地理

高円寺純情商店街
高円寺パル商店街

当地は駅周辺以外は閑静な住宅街である。戸建住居と共に学生向けのアパートやワンルームマンションなども多く、一人暮らしの若者に人気がある。

駅近辺は商店街が多く、若者向けの衣料品(古着屋)・雑貨店や安価な献立の飲食店・古書店・小さなライブハウスなどが目立ち、休日になると多くの若者でにぎわう。大規模小売店舗がなく多数の小規模店舗が林立して商店街が発展していることが特徴である。

新しい店の新陳代謝は激しいものの、戦前からの老舗や古くからの名店も多い。1923年大正12年)創業の天名家総本店の漉し餡入りの大きめのみたらし団子「お狩場もち」は三代将軍徳川家光鷹狩の途中に「宿鳳山高円寺」へ立ち寄ったという故事を由来にしている。1960年昭和35 年)創業の喫茶店「トリアノン」や、東京の「沖縄料理の老舗」の一つと言っても違和感がないほど連日客の絶えない「抱瓶」、またエスニックブームが到来す る以前から存在するインド東南アジア雑貨店「元祖仲屋むげん堂」、東京におけるカフェ文化の先駆けとも言える「Yonchome Cafe」など文化的特徴のある店が存在している。

一方で東京メトロ丸ノ内線東高円寺駅近くには光塩女子学院と高円寺カトリック教会があり、赤レンガの建物とあいまって町並みはどこかしら洋風な気風も感じさせる。

杉並区の人口統計によると、人口に占める20代・30代の若者の比率は、若者が多いとされる杉並区内の中でも高円寺周辺が際立って高くなっており、杉並区内139街区中、高円寺南二丁目が1位、高円寺北三丁目が3位である。

ねじめ正一の「高円寺純情商店街」は当地の雰囲気を綴った小説で、実際に同名の商店街が高円寺駅北口に存在する。ただし商店街がこの名前になったのは同小説刊行後で、それ以前は「高円寺銀座」という名前だった。


[編集] 歴史

[編集] 高円寺

現在の高円寺はJR高円寺駅を中心に、住居表示上は高円寺北と高円寺南があるが、これは戦後の町名変更に基づくもので、それ以前の高円寺は、宿鳳山高円寺(曹洞宗)を中心に駅の南北共に「高円寺」(旧高円寺村)だった。高円寺と阿佐谷の間には馬橋(旧馬橋村)があり、馬橋が町域変更によって高円寺及び阿佐ヶ谷に併合された際、南北に町名が分かれた。馬橋三丁目には小林多喜二が1931(昭和6)年に移り住み、母や弟と共に暮らした。馬橋は小学校名や神社の名前として残っている。

[編集] 神社

高円寺駅南口にある氷川神社境内に日本で唯一の気象神社がある。1938年(昭和13年)に現高円寺北4丁目(旧馬橋4丁目)に設立された、旧陸軍気象部(陸軍気象第三連隊等在駐)の構内に1944年(昭和19年)4月10日に造営、奉祀された。翌1945年(昭和20年)4月13日に空襲で焼失そして終戦直後に再建されたが、終戦後「神道指令」により廃棄されるはずのものを、旧陸軍気象部だった人たちが中心となって、連合軍宗教調査局に申請し払い下げをうけて現在の場所に移設されたもの。戦時中は陸軍気象予報担当者が予報が当たるよう毎日お参りをしたらしい。旧陸軍気象部はその後気象庁気象研究所となり、現在は茨城県つくば市に移転し、跡地は馬橋公園となっている。

高円寺 阿波おどり

[編集] 高円寺阿波踊り

8月下旬(最終の土曜日曜)に、JR高円寺駅前の通りを舞台に、「高円寺阿波踊り」が開催される。開催年を経るごとに知名度が上がり、現在では阿波踊りの本場である徳島県からも集団参加が見られるなど、遠方からの参加者も多い。見物客は本場徳島の阿波踊りを超える120万人以上とされ、東京の夏の新名物として定着している。

[編集] 主な商店街

  • 高円寺純情商店街
  • 高円寺パル商店街
  • 高円寺ルック商店街
  • 高円寺あづま通り商店街
  • 高円寺庚申通り商店街振興組合
  • 高円寺中通り商店街
  • 高円寺北中通り商店街

[編集] 交通

鉄道

道路

[編集] 高円寺が舞台となっている作品

作中では高円寺と明言されていない(単なるロケ地である等)ものを含む。

[編集] 外部リンク


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