2015年9月2日 星期三

Macao/Macau II China Presses Macau Revamp as Gambling Revenue Plunges; Macau economy contracts by 26% 、澳門失控; Macau Rides High on New Round of Casino Construction


For years China’s leaders have urged Macau to transform itself into a diversified entertainment hub like the Las Vegas Strip.
Now, Beijing is no longer asking.
As gambling revenue continues to plummet in Macau, China is trying to...
WSJ.COM|由 KATE O’KEEFFE 上傳




Odds stacked against Macau’s casino operators
(Picture by Bloomberg)




Macau economy contracts by 26%
Enclave's economy suffers sharpest contraction in more than a decade as corruption crackdown on the mainland extends the unlucky streak for its HK-listed casino operators
ON.FT.COM



Macau Rides High on New Round of Casino Construction













........1957年出生的高天賜看上去還是一個剛剛開始發福的小夥子,一坐下來他就慷慨地說採訪用廣東話、普通話、英文、葡文隨便記者選擇。記者問他和李國強同樣的問題:這是澳門最好的時代嗎?「Apparently yes,」他脫口而出。

接著,他如數家珍般地講出了這個最好時代的一些不足之處:「貧富差距在擴大,一些人跟不上經濟發展的速度,澳門依然是一個必須依靠關係才能做生意的地方, 中小企業在消失,住房非常昂貴,其他行業很難和賭場競爭人力資源;政府在縮減它的職能範疇、腐敗普遍存在、無法問責高層官員、政府收賭場來的快錢卻無所作 為⋯⋯」如果記者不打斷他,高議員還會繼續下去。

記者說政府每年都在給市民派錢,外面的人都十分羡慕。「這是無能的人用來讓窮人閉嘴的行為,」他對一切話題都有備而來。我問他自己的政治信念來自哪裡,問 到這裡,他停頓了片刻:「小時候我家裡很窮,媽媽把我送到修道院裡讀書,我是牧師帶大的。」我這才突然意識到,我身處在一個和天主教共生了400多年的地 方。

記者告訴他正在等待澳門經濟司決定司長譚伯源是否能夠接受採訪。高天賜哈哈大笑,他說我可能會在澳門等一輩子。「澳門政府非常不公開,去年透明國際因為缺乏資料不得不放棄對澳門考評。」透明國際2012年的清廉指數涵蓋了176個國家和地區,北韓也在統計之內。

在高天賜眼裡,澳門已經不是一個適合家庭居住的地方,「如果你想在這裡成家、養小孩,你必須接受賭博帶來的高利貸、賣淫等社會問題。如果你還年輕,有和賭博業無關的夢想,你可能只有離開這裡。」澳門失控:最輝煌的時代,最不安的方向 (一)

本文下篇:〈澳門失控:最輝煌的時代,最不安的方向 (二)

文:張一帆
原文刊於《彭博商業周刊/中文版》第1期







Lex column: Macau gaming industry turn aiming ordinary players
VIP gamblers from the Chinese government and enterprises are key drivers of the gaming industry in Macau, the pressure on cash flow due to Chinese enterprises and local government financial pressure, Macau gaming revenue growth slowing sharply, turn sights on ordinary gamblers.

 Lex专栏:澳门博彩业转瞄普通玩家
来自中国政府和企业的贵宾赌客是澳门博彩业主要拉动者,
但因中国企业现金流压力和地方政府财政压力,澳门博彩业收入增长急剧放缓,转而将目光瞄向普通赌客。

 Sands China intends to build a new casino in Macau


マカオ【Macao/Macau】

    《澳門》中国広東省の南部にあるポルトガル領の地域。珠江河口西岸のマカオ半島とタイパ島・コロアン島からなる。古く日本では阿媽港(あまこう)・天川(あまかわ)とよんだ。1557年にポルトガルが居住権を得て東洋貿易の根拠地とし、1887年に清朝から割譲。1999年末に中国に返還される。人口、行政区55万(2008)。アオメン。オウムン。

マカエンセに嫁いで

太極拳は団体ごとに分かれて。体操する団体、踊る団体もいる。
太極拳は団体ごとに分かれて。体操する団体、踊る団体もいる。
円を描くようにゆるゆると手を動かし、足を上げ。ときどきコケたりする人がいるのもご愛嬌(あいきょう)だ。
滞在中の朝、かつての豪商の庭園・ロウリムイオック公園にやってきた。早朝の公園での太極拳は、中国でも台湾でも、そしてマカオでもおなじみの風 景。身体がほぐれたあと、お年寄りはそのままおしゃべりに興じたり、飲茶(やむちゃ)屋に繰りだしてみたり。日本人からみればうらやましい悠々自適っぷり である。 「私も、99年から始めましたよ」
今回の達人・轡田洋子さんが太極拳のポーズを決める。毎週モンテの砦(とりで)で仲間と練習しており、体調もよく効果はまずまずだとか。ほかにも街角を彩るアズレージョ(絵タイル)工房に通ったりと、オフタイムでもマカオの文化に積極的に触れている。
「来た当初は、それどころじゃなかったですけどね」
今でこそマカオを訪れる観光客は年間40万人近くおり、メディアへの露出も多い。コーディネーターや観光ガイドの第一人者として働く轡田さんは大忙しだが、暮らしはじめた1985年当時、日本人にマカオはまだまだ遠い存在だった。 「世界地図を見ると、マカオのところに『ポ』って文字が。ああ、こんなところにポルトガル領があるんだ、という程度の知識しかなくて」
そんな遠い地へ彼女を引き寄せたのは、マカエンセの夫・フェルナンドさんとの出会いだった。
マカエンセとは、16世紀以降に定住したポルトガル系の血を引くマカオ生まれの人々のこと。ポルトガル人とも中国人とも異なるエスニック集団だ。
聖ポール天主堂跡を一望するポルトガル料理レストランで、2人にお話をうかがうことにした。

仕事に子育てに熱中した27年

フェルナンドさん(右)。「洋子のすべてが好き」とのろけ連発。
フェルナンドさん(右)。「洋子のすべてが好き」とのろけ連発。
「最初に会ったとき、もう彼女は僕の心に住んでしまったんだよ」
思いっきりのろけるフェルナンドさんに、質問したこちらが赤面した。轡田さんは慣れているらしくニコニコとうなずいている。
幼少時から車いすで生活するフェルナンドさんは、車いすマラソン国際大会にマカオ代表で出場するほどのスポーツマン。1981年に選手として来日した際に、大会のボランティアスタッフだったのが轡田さんだ。
真っ赤なユニホームでとにかく陽気なマカオチームは選手団の中でも目立つ存在。2人は自然と親しくなり、帰国後、フェルナンドさんから週に1度は手紙が届くようになった。
「何を書いていたんですか? アイラブユーとか?」
「もちろん!」
そんな彼のまっすぐさ、「自分より大変な人はたくさんいる」という前向きな気持ちに徐々にひかれていき、4年後に彼女はマカオに渡った。当時在住者 は120人ほどと、日本人は完全に少数派。だがほどなくガイドの仕事を始め、翌年には第1子を妊娠。マカオの多くの女性がそうであるように、出産ぎりぎり まで仕事を続け、88年には第2子を授かった。そこから10年あまりは、夢中で仕事や子育てに邁進(まいしん)する日々だった。
「でも、楽させてもらってましたから」
マカオの一般的な家庭では家事はお手伝いさんが切り盛りしてくれる上、フェルナンドさんのサポートもあったから忙しくても苦労はなかった、という。
「99年まで、実はほとんど料理をしたことがなくて。中国に返還されてから、一時暇になったので料理を作ってみたんですが、『まずい』と子供たちから不評で」
返還、そして03年のSARSの影響による観光客減がなければ料理の腕も磨かれなかったかも、と笑う。今は「洋子の料理はなんでもおいしい」とフェルナンドさんがのろけるほどの料理上手な轡田さんに、マカオの食についてもご案内いただくことにした。

国際色豊かな食文化に触れる

肉売り場は新鮮そのもの。一つのお店で毎日2頭ぶんは売るとか。
肉売り場は新鮮そのもの。一つのお店で毎日2頭ぶんは売るとか。
部位ごとに切り分けられ、鉤(かぎ)にぶら下げられた豚肉。律義に頭から順を追って並べてあり、左はじには頭、右端には豚足だ。奥には、慣れた手つきで生きた鶏をさばく肉屋の姿。
訪れた紅街市は1930年代から続く市民の台所。肉、野菜、乾物など食材がそろうが、マカオには農地になるような土地はほとんどないし、漁業人口も200~300人程度だとか。ほとんどの野菜は広東省の契約農家からおさめられているという。
食材に限らず、マカオの味覚は国際色豊か。轡田さん行きつけのスーパーマーケットに行き、目をみはった。


世界の食材が揃うマカオ

同じ種類の食材が、産地別にたくさんの品種集められている。
同じ種類の食材が、産地別にたくさんの品種集められている。
棚一つぶん、全部オリーブオイル。
棚四つぶん、全部ミネラルウオーター。
ほかにもコーヒーや茶葉、塩、缶詰め、調味料など、マカオのスーパーは、個々の食材の種類が壮観なまでに多い。水ひとつでもポルトガル産から中国産まで、幅広くそろえているからだ。
大航海時代に各国の食材、特にスパイスが豊富に集まったマカオは、食の都・広東のお膝元(ひざもと)で培われた技を背景にマカオ独自の味を編み出し た。ひとつの典型が「アフリカンチキン」。炭火焼きチキンを各種スパイスとココナツミルクで煮た一品で、アフリカ料理とは似て非なる料理だけれどもおいし い、というマカオらしい味。もちろんポルトガル料理や広東料理のレストランも多い。いやそれどころか、ホテルの建設ラッシュを背景に、マカオには今、世界 の一流シェフが数多く集められており、グルメシティーとしての評判も高い。
反面、屋台のおでんや麺(めん)・お粥(かゆ)など、庶民の味がそのまま残っているのも魅力。エッグタルトや牛乳プリンなど、スイーツ類が豊富なのも女性人気が高い理由だ。
ハムやチーズを吟味する轡田さんに教わりながら、気がついたら両手いっぱいに食材を抱えていた。この日購入したのは、ポルトガルのコーヒーとパンのペースト、香港の豆鼓ソース、台湾の腐乳(発酵調味料)。なんともインターナショナルである。

定額給付金に年金、手厚い住民保護

17世紀創建で、1937年に再建された大堂。やはり世界遺産。
17世紀創建で、1937年に再建された大堂。やはり世界遺産。
スーパーからの帰り道、轡田さんの家の前を通りかかった。高層マンションの3LDK、20年以上前に40万香港ドル弱で購入した物件だが、今なら 300万香港ドルくらいはするはず、という。土地が足りない上に不動産投資もさかん、公営住宅の売り出しが新聞のトップを飾るのが今のマカオだ。
そんな場所で異邦人として生活するのは大変だろうとも思ったが、考えてみればフェルナンドさんだって異邦人マカエンセ。返還後、ポルトガルに戻った マカエンセやポルトガル人も多かったが、Uターンしてきた人も少なからずいるとか。近ごろは新参のポルトガル人もやってくるという。理由は簡単、マカオの ほうが景気がいいからだ。
「社会制度もしっかりしてますしね」
マカオは住民への手当てが手厚い。規定はいろいろあるのだが、全永久居民に7000パタカの定額給付金があったり、行政の予算で年金を積み立ててくれたり。教育費や医療費、出産費用も一定の枠内で無料だ。
これが実現できるのも、少ない人口とカジノやホテル、諸施設からの税収あってこそである。

マカオは変わっても、人は変わらない

世界遺産や豪華なホテルから視線をはずせば、そこにはいつも庶民の暮らしが。
世界遺産や豪華なホテルから視線をはずせば、そこにはいつも庶民の暮らしが。
散策の最後に、大堂(カテドラル)に立ち寄った。教会だらけに見えるマカオだが、轡田さん一家のようなカトリック信徒は4%しかいない。宗教や習慣が違うさまざまな人々が小さな土地に同居するマカオは、だからこその住みやすさもある。 「小さいながらなんでもあるし、みんな周りの目を気にしないし。私もそういうのが苦手だったから、日本を出てきたのかもしれません」
返還後50年は中国政府から「一国両制度」が認められているが、50年後の2049年にも今のような経済特区でいられるかどうか、誰にも予想がつかない。でも、マカオの人は変わらないんじゃないかな、と轡田さんは言う。
「貿易で生きてきた人たちなせいか、どこか楽天的。できなかったことを言ってもしかたない、遠い将来を心配してもしかたない、という考え方なんですよね」
自分もだんだんそんな考え方になってきた、と笑う。子供たちも成人し、これからが轡田さんの第二の人生。そろそろ夫婦の時間を大事にしたいし、遠い未来にはオーストラリアやポルトガルなど、海の見えるところに移住もいいかな、とも考えているとか。
夕暮れが近づいてきた。大堂の周辺はライトアップが始まりロマンチックだが、観光客を尻目に洗濯物を取り込む普段着のおばあちゃんがいる。外から来る新しい風と、昔から綿々と続く営みと。マカオはこうやって、未来もつむいでいくのだと思う。
(取材/山田静)

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