2023年10月2日 星期一

秋訪金瓜石(林皎碧 / 日譯:島田潔)

 

#將近20年前的舊稿,當時和任教大學的好朋友島田潔老師,經常我寫中文他翻譯為日文,好像在玩遊戲般一搭一唱,沒想到後來兩人竟合譯出版了幾本書。驀然回首,多少往事盡付笑談中。


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秋訪金瓜石 (林皎碧 / 日譯:島田潔)

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深秋的午后,獨自飛馳於蜿蜒的102號公路上,路過九份,細雨轉為又急又快,滂沱中前進的車子,幾乎見不到十公尺前方的景物。至時雨中學,大雨漸歇,停靠車後,緩步遊走,並軒而立的日式宿舍,清幽閑靜,雖經整修仍見歲月痕跡,靜謐優雅的身影承載昔日生活記憶和豐富人文,充滿懷舊的幽情。此時雨絲飄在臉上,感到些許涼意。

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午后的山城出奇地安靜,拐彎處有一家古早味小店鋪,挑了一本《金瓜石  浪漫多情又溫馨的山城》,與老闆閑聊數語。經店家指點,往本山五坑坑道走去。佇立在坑口外的枕木路面,眺望對山,無言的山丘好似凝止,雨後秋山,更見清新,俯視山谷,見溪水奔流其間。往前順著山徑,拾級而上,石階盤山修築,甚為平整。未料見著第一座石燈籠,道路一轉淤泥傾圮,兩旁雜草叢生,此時才感受果真是被荒棄的山城。

煙霧濛濛,前方一片模糊,心中開始起疑惑,自己這般冒失想尋幽探古,不知山中當真有座黃金神社否?山路轉折,又見幾回石燈籠、旗幟臺,正當猶豫是否該繼續前進之時,赫然見到一座鳥居,驚喜之餘加緊腳步,乍見目的地,叫人不禁愕然。

從舊照片上看到的神社,櫻花綻放,林木鬱蔥。參道沿途插滿眾商家奉獻的「金瓜石神社」「黃金神社」幡旗,還有懸掛在神社上方迎風飛揚的萬國旗,好不熱鬧繁華!如今除卻幾根石柱、空留個祭臺遺址任人憑弔外,斷垣殘壁中荒煙漫草。

我原本也不期待能見到百年前的景象,只因讀過相關文獻,有股走一趟寂靜小山廟的衝動而已。縱使如此,未料會是這般荒涼一片,我也只能在廢墟的祭臺上憑欄遙想當年祭祀時的盛況。

臺灣在馬關條約簽訂後,進入日治時代,趾高氣昂的田中長兵衛開山挖礦,隨著日人的激增,殖民統治者開街建肆,為迎接王儲的到來,不惜重金興建太子賓館。這座神社更是高官巨賈的精神信仰所在,也是花枝招展的日本貴婦、名媛身着傳統服飾,腳履木屐,踩著小內八字步搖搖晃晃,說是新春「初詣」,說是帶著兒女「七五三」,骨子裡卻在暗中較勁的地方。

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高高在上的殖民統治者,以為天照大神將保佑世代子孫大權永握、富貴長存。神社中供奉的神祇,也以為參道上的膜拜者將會絡繹不絕,賽錢箱裡的奉納將是源源不斷。當戰敗的哀鐘響起,一切的一切,有如櫻花的飛散,而今安在哉?

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在七0、八0年代盛衰轉替之際,昔日紙醉金迷的山城,礦盡而衰。隨著礦業的沒落,當年意氣風發、飲酒高歌的淘金客遍尋不著。富商名流笙歌鼎沸,酒女與豪客觥籌交錯的喧囂已是曲終人散。

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鎏金歲月、燦爛時光,已走入歷史浮沉的宿命。述說往昔風采,徒留舊傷、徒增惆悵。風華褪去,形容逐漸憔悴,終究為人遺忘。俯視山坡白茫茫的一片芒草,如海浪般擺盪,喚醒我對昔日的憧憬,這悠遠、閒淡的風光逕自烙入我的腦海,不知是驚嘆?還是感歎?

驀然回首,再望一眼斷垣殘柱,低徊吟唱,不意口中道出的竟是――眼見它起高樓、眼見它宴賓客、眼見它樓塌了。

走回來時路,已是傍晚時分,天色漸漸暗淡,帶著一身山中的秋意,褪去慵懶,駛離滄桑,當第一盞燈亮起時,山城的夜色美麗驚艷,我卻將它遠遠拋在車後。


 

金瓜石を訪ねた秋 

秋の深まりを感じる午後、一人車を走らせて、曲がりくねった102号線を急いだ。九份を過ぎた頃、急に雨脚が強まり、土砂降りの中、10メートル先も見えないような道を走った。時雨中学まで来たところで大雨も上がり、車を停めてのんびりと歩き始めた。軒を接して立ち並ぶ日本式の宿舎には、えもいわれぬ静けさがあった。修復されているとはいえ、歳月の痕跡を残し、静謐にして優雅なその姿は、かつてそこにあった生活の記憶と人々の営みの豊かさを物語っていて、言いようのない懐かしさを感じさせてくれる。そんなことを思っていたら、小糠雨が顔に吹きかかって、少し肌寒くなってきた。

午後の山里は、不思議なほどに静かだ。曲がり角に、一軒の昔ながらの小さな店があった。そこで、『金瓜山 ロマン溢れ心温まる山里』という本を手に取り、店の主人とひと言二言、言葉を交わした。店で教えられた通りに、本山五坑の坑道に行ってみた。坑口の入口の枕木が敷かれた道に佇み、向かいの山を眺めると、物言わぬ山がじっと固まっているように見えた。雨上がりの秋の山は、一段と清らかで美しい。谷を見下ろすと、渓流が勢いよく流れていた。順路に従って山道を進み、一歩一歩上って行くと、石畳は修築されており、凸凹がなくなっていた。思いがけず石灯籠があった。その先、道は一転して泥道となり、両側には雑草が生い茂り、やはりここは打ち捨てられた山里なのだと悟った。

ガスって視界が効かなくなり、心の中で疑問が生じて来た。こんな風に古を訪ねて来てしまったけれど、こんな山の中に、本当に黄金神社なんてあるの…?山道を折れて、何度か石燈籠や幟旗を立てる台が見えたものの、このまま進み続けるべきか否かと思い始めた時、突然目の前に鳥居が現れた。嬉しさのあまり歩を速めたが、いざ目的の地に着いてみると、愕然とする思いを禁じ得なかった。

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昔の写真に写っている神社は、桜が咲き、 木々が鬱蒼としていた。参道には多くの商家が奉納した「金瓜石神社」「黄金神社」の幟旗が立ち並び、神社の上には万国旗がはためいていた。何と寂れてしまったことか!今では、幾つかの石柱と空しく残された祭壇の跡が昔を思い起こさせるばかりで、境内は荒れ果ててしまっていた。

私は、別に百年前の姿を見たいと思っていたわけではない。ただ、文献を読んで、静かな山の神社に行ってみたいという衝動に駆られただけだ。ただ、そうであっても、こんな荒涼とした風景に出合うとは、思ってもいなかった。私はただ、廃墟の祭壇で、かつてのお祭りの賑わいを想うことだけしか、できなかった。

台湾は、馬関条約によって日本の統治下に入った。意気軒昂な田中長兵衛が鉱山を開き、日本人が激増したことから、植民統治者は街を作り、皇太子を迎えるために巨費を惜しまず迎賓館を建てた。この神社は、高官や大商人たちの精神的拠り所であり、見目麗しい日本の貴婦人やお嬢様方が、伝統の着物を着て、木履を履き、内またで楚々として、やれ新春の「初詣」だ、やれ子供の「七五三」だと、お互いに心の中で相手を意識しつつお参りする場所だった。

雲の上の人であった植民統治者は、天照大神が見守ってくれて、子々孫々までその大権を握り、繁栄すると思っていただろう。神社に祭られていた神々もまた、お参りの列が絶えず、お賽銭が絶えることも無いと思っていただろう。だが、哀れにも敗戦を迎え、何もかも一切が、桜の花の如くに散ってしまい、今はどこにもない。

70年代から80年代の盛衰とともに、かつてあれほど栄えていた山里も、衰亡の時を迎えた。鉱業は没落し、意気盛んで、酒を飲んでは大声で歌っていた金掘りたちも、いなくなった。景気の良かった富商たちも、酒場での男女入り乱れての賑わいも、跡形もなく消えてしまった。

金鉱山の輝かしい日々は、既に歴史物語となってしまった。昔の話をすれば、ただ空しく悲しくなるだけだ。華やぎは色褪せて、次第に枯れて行き、遂には忘れられてしまう。山肌を白く染めている芒が海の浪のように揺れているのを見ていたら、かつての日々への憬れが呼び覚まされ、この悠遠にして穏やかな風景が、私の脳裏に焼き付けられた。これは、驚嘆ゆえだろうか?それとも感嘆ゆえだろうか?

突然振返り、もう一度壊れた柱に目をやり、低い声で詩を吟じた。不意に口をついて出たのは、こんな詩だ。「眼見它起高樓、眼見它宴賓客、眼見它樓塌了(高楼があった、宴の賓客がいた、そして没落した)」。

帰り道、既に日暮れ時となり、空は次第に暗くなってきた。体全体で秋を感じながらも、のんびりしないで、この無常の地から急いで離れた。街灯が灯り始めると、山里の夕暮れは驚くほどに美しかったが、私はその風景を後に、車を走らせた。

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