【东京:一千米长的街道,能挤进多少个著名建筑师作品?| 建筑地图 亚洲篇】
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表参道 (原宿)
表参道(おもてさんどう)は、
- 明治神宮の参道の一つ[† 1]。現在の都道413号線のうち、青山通りから明治神宮(原宿駅前)の神宮橋交差点(明治神宮)に至る区間が相当する。
- 上記の周囲から、地下鉄・表参道駅周辺までを含む一帯の総称。東京都渋谷区神宮前および東京都港区北青山・南青山のそれぞれ一部が相当する。
概要[編集]
1919年(大正8年)に明治神宮の参道として整備された大通りが「表参道」そのものであるが、現在ではその通りを中心とする原宿・青山地区の町域を指して「表参道」と称することも一般的である。町域としての表参道には渋谷区神宮前と港区北青山・南青山が含まれ、銀座と並んで高級ブランドの旗艦店が集積しているエリアとしても知られる(「青山 (東京都港区)#ファッションブランド」「神宮前 (渋谷区)#地理」も参照)[1]。
通り(参道)としての表参道[編集]
現在の都道413号線が国道246号 (青山通り)と交差する表参道交差点から、原宿駅前付近の神宮橋交差点までの全長約1.1キロメートルの区間を指す(google マップ)[† 2]。明治神宮の造営にあわせて1919年(大正8年)に完成したこの通りは街路樹のケヤキ並木でも知られ、読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」(1994年)のひとつに選定されている[2]。
現在の道路形状は、幅員36mで中央分離帯が備わり、片側2車線・往復4車線で、両側の歩道寄りには時間制限駐車区間が設けられている。歩道にはケヤキによる街路樹が備わっている。通りには、終点である原宿駅前を含めて、3本の歩道橋が設置されている。
並木通りとしての表参道の街路樹であるケヤキ(欅)は、通りの左右に一列ずつ、現在は合計で163本が生育している[3]。大正時代に植えられた元もとのケヤキは、アメリカ軍による東京大空襲によって1945年(昭和20年)に大部分が焼失、現在生育しているケヤキの大部分は1950年(昭和25年)頃に植えなおされたものである[3]。ただし、表参道ヒルズ前などの合計11本は戦火に耐えた樹木であり、樹齢90年を超えているものもある[3]。初代のケヤキについては、現地に解説板が備わっている。
通りは台地上にある起点・終点に対して、中央部の都道305号 (明治通り)や渋谷区道キャットストリートが谷底となる形状になっている。最も標高が高いのは起点である青山通りの交差点付近で海抜35メートル、谷底であるキャットストリート付近は同20mである[3]。道路建設の際には、谷底である渋谷川(穏田川)両岸の自然地形に一定の斜度で坂が造られたため、切り通しなどが諸所にあり、土留には石垣が用いられた。
表参道は冬至の朝、明治神宮から起点の青山通りの交差点方向に向かって、道路の延長線上から真直ぐ太陽が昇る設計になっている[3]。
地域としての表参道[編集]
通りとしての表参道から、地下鉄・表参道駅周辺までの一帯を「表参道」と呼ぶことも一般的である。その範囲は広く、青山の骨董通り周辺から、青山通り、表参道駅周辺、旧原宿・旧穏田地区の表参道沿いを経て、原宿駅周辺までもが含まれる場合がある[4]。
この一帯はショッピングストリートとして知られ、特に表参道沿いには日本国内外の有名ブランド店が集積している舗が数多く立ち並んでいる。2006年(平成18年)には大型商業施設・表参道ヒルズ (神宮前4-12)も、表参道沿いに開業した。一方、裏通りは閑静な住宅地となっており、新進気鋭なセレクトショップや有名美容院などが点在し、若者にも人気の地域となっている[1]。
歴史[編集]
明治神宮創建前年の1919年(大正8年)、同神社の正面側参道として東京市によって整備された。神宮創建当時は、明治天皇を記念して表参道と裏参道の2本の参道が同時に建設されており、裏参道は乗馬道として現在のJR中央本線の信濃町駅や千駄ケ谷駅方面から続いていたが、戦後に首都高速道路の一部に変わったためになくなった[5]。現在ケヤキ並木で知られる表参道であるが、明治神宮鎮座時には街路樹はなく、その翌年になってケヤキの若木200本が植樹された[3]。
1927年(昭和2年)には同潤会渋谷アパート(後に青山アパートと改称)が、沿道北側の穏田地区に建設された。大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍による東京大空襲(山の手大空襲)によって表参道付近も甚大な被害を受け、周囲の建物とともに表参道のケヤキの大部分も焼失した[3]。
日本の敗戦後、占領軍であるアメリカ軍が明治神宮に隣接する代々木公園に軍施設、ワシントンハイツを建設、これを機に沿道にはアメリカ人向けの店ができはじめた。1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発すると日本はアメリカ軍の中継地となり、これらの店は益々繁盛するようになった[6]。
つくられた当初は砂利道であった表参道は、戦後になって現在のように拡張整備されて広い道へと変わり、ファッション通りへと変貌していくことになる[5]。1960年(昭和35年)には、明治神宮寄りの沿道南側に原宿セントラルアパートがつくられた。1964年(昭和39年)には近隣の代々木第一体育館などを会場として東京オリンピックが開催され、翌年にはコープオリンピアが竣工した。1970年代以降には、「原宿・表参道」として、もしくは「青山・表参道」として、若者文化・流行の発信地として活気を得、さらには高級ブランド店の集積地となっている。
1972年(昭和47年)には沿道半ばに地下鉄千代田線・明治神宮前駅が開業、また道路には1974年に中央分離帯が設置され、それまで片側3車線の対面通行だったものが同2車線に改められた。2003年(平成15年)に取り壊された同潤会青山アパート跡地には2006年(平成18年)2月に表参道ヒルズが開業している。
2008年(平成20年)2月には渋谷区のコミュニティバス「ハチ公バス」に表参道を走る新規路線が開業し、「明治神宮前駅」、「神宮前小学校」、「表参道ヒルズ」という3つの停留所が設置された。また同年6月14日には副都心線が開業し、表参道・原宿エリアから池袋、森林公園、飯能エリアまで一本で行けるようになった。
クリスマス電飾[編集]
年末年始に表参道の沿道、明治神宮入口から青山通りまで約1kmのケヤキ並木を電飾するイベントが1991年(平成3年)に開始された。これは地元の商店振興組合「原宿シャンゼリゼ会」[† 3]が主催したものであったが、見物客による交通渋滞や歩道の混雑、ゴミが散乱するなどの諸問題のため1998年(平成10年)で中止となった。
その後は同会の主催で、2001年(平成13年)年末に『光のオブジェ』、2006年(平成18年)年末には和のテイストを入れた灯りの塔60基を歩道に設置する『表参道akarium (アカリウム) 』[† 4]という、派手さを抑えた代替イベントが単発で行われた。
2009年(平成21年)年末からケヤキ並木への本格的な電飾が復活、同年には『表参道 H.I.S.イルミネーション ベルシンフォニー』[† 5]、翌年には『表参道イルミネーション2010』の名称で実施された[† 6]。
主催する表参道欅会はこのイベントを初めて開催するにあたり、先行して1986年(昭和61年)からケヤキ並木への電飾イベントを実施していた「SENDAI光のページェント」(宮城県仙台市)を視察し、以後交流を続けてきたという[7]。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波によって、仙台港の倉庫で保管されていたページェントの電飾用LED電球が全損すると、表参道はLED電球6万個を貸し出して同市でのイベント開催を支援した[7]。